2020年4月にネスレ日本社長に就任した深谷龍彦氏。
撮影:横山耕太郎
原材料や資材・物流などの値上げが、食品メーカーを苦しめている。
国内の主要食品メーカー195社を対象にした帝国データバンクの調査によると、2024年10月に値上げされた食品は2900品目を超えた。分野別でみると、2024年通年で「酒類・飲料」の値上げ率が23%、続いて「菓子」が17%と大幅な値上げとなっている。
とは言え、値上げによる消費者離れは避けられず、各社は値上げ幅やタイミングについて慎重な判断が迫られる。
コーヒーブランド「ネスカフェ」やチョコレートブランド「キットカット」などを主力とする食品メーカー、ネスレ日本も例外ではない。
2023年3月に「キットカット」の内容量を13枚から12枚に変更、また2024年3月からは12枚を13枚に増量したうえで、希望小売価格を540円から685円に引き上げた。さらにネスレ日本は11月7日、2025年2月以降にコーヒーなど133品目の値上げを発表。キットカットは希望小売価格は685円のままで、2025年4月から内容量が13枚から11枚に減る。
値上げした後で、どう顧客を維持するのか──。ネスレ日本社長・深谷龍彦氏に聞いた。
「目先ではなく将来を考えて価格を決める」
神戸市にあるネスレ日本本社。社長室にはネスレの商品が並ぶ。
撮影: 横山耕太郎
──「キットカット」や「ネスカフェ」の値上げが続いています。値上げ判断はどのような基準で決定しているのでしょうか。
グローバルで見たときに、日本市場は特に「コーヒー」と「チョコレート」の売り上げが大きい国です。
近年はコーヒー豆やカカオ豆の価格が高騰していることに加えて、円安というダブルパンチを受けています。しかし、一気に価格を上げてしまうとお客さんが離れ、市場の将来性を失うことになるため、バランスをとりながら価格改定を進めました。
コーヒーであれば、レギュラーソリブルコーヒー(インスタントコーヒー)、ミックスコーヒー(コーヒーにミルクや砂糖などが混ざっている商品)、カプセル式のコーヒー、ペットボトル入りのコーヒーなど、様々なカテゴリーの商品があり、多くの場合、お客さんは複数のタイプのコーヒーを飲んでいます。
価格改定よって消費者が行き場を失わないように、例えば「今季はミックスの値段をあげる。来季はカプセル」など、コーヒー全体のバランスを考え価格改定を決めています。
価格改定よって消費されるコーヒー量は微減しているものの、売り上げはマイナスにはなっていない。
価格改定を考えるときには、目先の3カ月のことばかりではなく、将来を考えることです。
ブランドをどう育てていくのかを大切にしないといけない。そのために、ブランドに投資し、付加価値をあげていくことが欠かせない。
キットカットのリニューアル「売り上げ2桁増」
撮影: 横山耕太郎
── キットカットは2023年、商品リニューアルを行い「史上最高」と銘打ったキャンペーンを実施しました。また2024年秋には「リニューアル1周年」も打ち出しています、リニューアルで値上げをカバーできますか。
ネスレは188か国で展開するグローバル企業。ブランドのロゴは世界で統一しているものの、それぞれの国の文化的嗜好に合わせ、商品をローカライズしています。
ローカライズは現地法人が担当しており、スイス本社の許可を得てから、展開しています。「キットカット」は2023年に「日本発売50周年」の節目を迎えるということもあり、50周年に合わせたリニューアルを、3年ほど前から始動させていました。
ただチョコレートは本当に難しい商品。日本にはチョコレートの商品が、200〜300ブランドあると言われていますが、その中でも、「キットカット」はブランドとしては1番の売り上げを誇っています。
すでに多くの商品があることで、それぞれの消費者が好きな商品が分かれています。50周年のリニューアルでは、チョコレートのカカオやミルクの配合の変更と、ウエハースの製造工程から、徹底的に試作を繰り返しました。
商品をリニューアルする際に、我々が採用しているのが「60/40(シックスティー フォーティー)」という基準です。
弊社の商品と競合の商品、もしくは従来品と新商品を、ブランドを提示しない形で実際に食べたり飲んだりして比較してもらい、6割以上の人が「よりおいしい」と答えた場合にのみ、その味を採用するという考え方です。
「キットカット」の場合、なかなか差がつかないという状況が続きましたが、数年の試作を経てやっと完成したのが、今の販売されている「キットカット」です。
2023年9月のリニューアル後は、前年比で「2️桁以上の売り上げ増」を記録しました。
しかし2024年3月には価格改定や内容量変更を実施したこともあり、チョコレートの需要が下がる夏場に向けて短期的に売り上げが減少しました。
弊社価格改定実施後、同業他社の多くも価格改定や内容量変更を行ったため、9月以降は好調を維持しています。
そして、チョコレートの市場が大きくなる冬に向け、今秋はリニューアル1年というキャンペーンも実施しています。
ネスレ日本公式チャンネル
異例だった「コンビニでの販売」
社長室には深谷氏が市場開拓を進めた「ネスカフェ ドルチェ グスト」も置かれていた。
撮影: 横山耕太郎
── 深谷社長は1996年に新卒でネスレ日本に入社し、カプセル式のコーヒーメーカー(ネスカフェ ドルチェ グスト)の日本展開ではブランド立ち上げを任されました。どのように認知を広げたのでしょうか。
本国スイスでは、1986年に発売されたカプセル式の「ネスプレッソ」が普及しており、家庭への普及が非常に高く圧倒的なシェアを獲得しています。当時、同じ商品が日本でも発売されましたが、マスに受け入れたとは言えませんでした。
その後、エスプレッソだけでなく、カフェラテなど様々なカフェメニューに対応したのが、2007年に日本で発売した「ネスカフェ ドルチェ グスト」でした。
本体が1万円以上する商品で、従来のセオリー通り、まずは家電量販店での販売を予定していました。でも調べてみると、日本人が家電量販店に行く頻度は、だいたい年に3〜4回だけ。日本人にとってなじみのない「カプセル式のコーヒーメーカー」を知る場としては、家電量販店ではあまりにも接点が少ない。
そこで考えたのが、コンビニエンスストアでの販売でした。週に3回も4回も行くコンビニに「ネスカフェ ドルチェ グスト」があれば、見て触ってもらえる。
当時はまだセブン-イレブンさんが、「コンビニコーヒー」を始める前だったので、無料で提供するキャンペーンを始めることにしました。
当初、スイス本社は「セットで1万5000円もする商品が、客単価の低いコンビニでは売れるはずない」と否定的な反応だったのですが、2007年に北海道のセブン-イレブンさんに設置して、無料でコーヒを飲めるキャンペーンは好評で、その後、全国に拡大しました。
テレビCMでも、グローバルで制作したCMではなく、日本独自の「セブン-イレブンへGO」と銘打ったCMを作り、テレビショッピングでの販売にも打って出ました。最初、家電量販店の営業からは「売れなくなる」と反対されましたが、結果はテレビショッピングで商品を知って、家電量販店で購入するという流れができました。
その後も、2012年からはコーヒーメーカーは無償にして、カプセルをサブスクで購入してもらう販売モデルも始めました。今でこそ当たり前になったサブスクですが、10年以上前はまだ珍しく、本国スイスとは全然違う形で、日本での浸透を進めました。
とは言え、まだ累計の出荷台数では「ネスカフェ ドルチェ グスト」が390万台、「ネスカフェ ゴールドブレンド バリスタ」が660万台(2023年末時点)。ただスイスの圧倒的な普及率に比べたら、まだまだできることはあると思います。
グローバル企業の強みは「研究開発」
世界で発売されているミロだが、日本では新たに「鉄分」を加えたミロなどが発売されている。
撮影: 横山耕太郎
── グローバルメーカーである強みを、どう日本市場で発揮できますか。
AOA(アジア、オセアニア、アフリカ)チームにおいて、日本は、「ネスカフェ」と「キットカット」の売り上げでは最も売れているという市場の一つです。
フィリピンは粉ミルクが強く、インドは袋麺が強く、マレーシアは「ミロ」が1番売れている国です。現地にずっと入り込んできたからこそのネスレの強みがある。
グローバルでみたときには、成功モデルを他の国で再現するということができます。
例えば少子化の日本では、「ミロ」がこれから急激に売れるかというとそうではないですが、今「ミロ」が売れているマレーシアの成功実績を踏まえながら、アフリカでの拡大を戦略的に進めています。
先程の日本で成功したサブスクモデルも、他の国に紹介することもしています。
グローバルブランドとしてのメリットは、ブランドの力もそうですが、R&D(研究開発)の力だと思っています。グローバルでサポートを得られますし、R&Dに投資している金額は莫大で、我々のスケールメリットがある。
直近で言えば、コーヒー豆、カカオ豆が高騰しており、調達できなくなっているメーカーもある。グローバルの調達の力があるのは大きいと感じています。
── 日本は今後、人口減少社会を迎えます。消費者が減りゆくなかで、ネスレ日本としてどう売り上げを確保していくのでしょうか。
日本の食品メーカーさんとか、いろんな業界の日系企業の社長とお話すると、みんな日本を出て海外市場を目指しています。
グローバル企業って面白いなと思うんですけど、僕は海外に行き先がないんです(笑)。逆に外資系企業の日本法人の方が、この国にコミットしているというか、この国でしか戦えないという面があります。
それは置いといておきますが、僕たちがネスレ日本に入った約30年前は、「ネスカフェ ドルチェ グスト」なんて商品はなく、液体のコーヒーでさえもほとんど売り上げがなかったし、コーヒーミックスもありませんでした。今みたいに家庭用の「スターバックス」のコーヒーを売るなんて、夢にも思っていませんでした。
ネスレはスターバックスと提携しており、ネスレ日本でも商品を販売している。
撮影: 横山耕太郎
もちろん消費者の数っていうのは減っていく。ですがいろんなポートフォリオを考えた時に、コーヒーでもまだまだできることがきっとあります。
日本人がコーヒーを1年間に飲む量は、平均400杯ぐらいです。でもヨーロッパの国では、平均1000杯飲む国もあります。日本でも年間に飲む量が、400杯から500杯になったら市場は拡大します。
よく若いマーケティング担当社員には、「売り上げって四角やで」って言うんです。
横幅は飲んでくれる人の数で、縦の幅は飲んでくれる量。この四角の面積が売り上げですよねと。
どれだけの人に飲んでもらえるか、その数を増やしていくのと、1人あたりの飲んでくれる頻度を上げていく。この2つを伸ばしていくこと。
日本でもまだまだ捕まえきれていないニーズが絶対にあると思っています。